●菅田沢の石積。 岩村田の龍雲寺の東隣には北から南へ向かう長い沢があります。開発により埋め立てが進んでおりますが、その姿は今もとどめています。この沢を菅田(すげた)と呼び この一帯の小字名にもなってい | 佐久鯉元祖/佐久ホテル/天然温泉

1428年・室町時代創業の信州一の老舗旅館。お食事だけのお客様も大歓迎。全室個室でのんびりゆったり名物の鯉料理に舌鼓

佐久鯉元祖/佐久ホテル/天然温泉

2018.01.07

●菅田沢の石積。 岩村田の龍雲寺の東隣には北から南へ向かう長い沢があります。開発により埋め立てが進んでおりますが、その姿は今もとどめています。この沢を菅田(すげた)と呼び この一帯の小字名にもなってい

●菅田沢の石積。
岩村田の龍雲寺の東隣には北から南へ向かう長い沢があります。開発により埋め立てが進んでおりますが、その姿は今もとどめています。この沢を菅田(すげた)と呼び
この一帯の小字名にもなっています。菅田の語源は菅(ススキやアシ)が生える水田のような湿地帯という意味だそうです。菅田を南へ下ると浅間会館や仙麓水道があり
ます。ここには内藤氏の陣屋がありましたが明治になる寸前に上ノ城地区へ移動しました。この陣屋と道を挟んで向こう(南)に割本篠澤邸(現佐久ホテル)がありました
。明治時代の地図ではこの両者は接している事が明白です。さて陣屋も篠澤邸も菅田を埋めて屋敷としたようです。先頃の逸品会歴史勉強会で白井実先生が「私の家は
もともと浅間会館の隣にありました。工事の時に土中より敷石が出た…」と話されました。実は佐久ホテルも昭和60年の新館工事の時に敷地を掘削したところ大量の敷石
が姿を見せました。言い伝えでは望月城当主が二分し、その一派が大井氏に招かれて室町時代に岩村田に来て篠澤になった。菅を刈り屋敷を建てたとされています。さて
菅は湿地植物であり、そこに屋敷を構えるには敷石が必要だったのでは?と想像します。昭和60年出土の大量の敷石や白井先生のお宅の土中から出た敷石も同類では?
と思います。

COMMENTコメント

※本コメント機能はFacebook Ireland Limitedによって提供されており、この機能によって生じた損害に対して軽井沢ナビは一切の責任を負いません