岩村田の大井法華堂 | 佐久鯉元祖/佐久ホテル/天然温泉

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2017.07.03

岩村田の大井法華堂

■佐久ケーブルテレビ「とことこ39」今回は、岩村田「中山道・岩村田本町、法華堂」です。



佐久ホテル社長が岩村田周辺の名所や名物や史跡などを紹介致します。放送予定は第一月曜20:00~【再】月曜20:00~ 水曜日13:00~ 土曜日6:30~ 日曜日22:00~


今回は大井法華堂のご当主より非常に貴重なお話しを伺いまた、大切に守ってこられた仏像なども拝見致しました。下記はご当主からのお話しです。



「佐久市岩村田の大井法華堂は、大井城の大井氏の分家が開いた修験道場です。

開祖の大井氏は大井城の分家の一軒でありました。

武人ながら足が悪かったため、信仰の道に入りました。

中世に盛んだった熊野詣の天皇の巡行時には大井氏がお供をしたこともありました。

大井法華堂は、一時期は大変な勢力があり、町内最大の宗教施設でもありました。

南は西念寺、北東は龍雲寺に接するほど広大でした。

また岩村田藩の財政援助のため、各寺院が寄進をすることになった時、

他の寺は数十両を出しましたが、法華堂は数百両も寄進しました。

その謝礼として、殿様から小袖と、内藤家紋の入った仏具を拝領しました。

その仏具は今も使用を続けています。

また、内藤の殿様の座った上段の間が現存しています。

さて東照宮(とうしょうぐう)は徳川家康をまつる神社です。
江戸時代の岩村田大井法華堂の堂主は
邸内に東照宮を創建しました。

これを知った地元の内藤の殿様は「勝手にそのようなことをされては困る」と言ってきましたが、
やがて「それもよかろう」ということで奉斎許可をしたそうです。

今も法華堂内には東照宮の神額や金幣などが祀られています。

近隣で東照宮は他にないです。

ところで本町の神明社の脇に荒神様があります。ここは、かつて大井法華堂の
境内でした。

今も荒神様がひっそりと祀られています。荒神様は火の神様でもあるので、ここで清酒醸造を行った千曲錦さんが特に信仰をされてきました。荒

神様から200mほど南に大井法華堂がありますが、昔はずっと境内地でした。

幕末に和宮様が中山道岩村田宿を通行した時に、大井法華堂には立ち寄りませんでした。
しかし和宮様から履物を拝領しました。







草履は和宮様、下駄は女官の使用したものだと言われております。



やがて明治になって神仏分離令が出されました。修験道の大井法華堂は、寺になるか、
民間になるか、選択を迫られました。

当時の法華堂当主は若くして他界し、家を継承したのは10歳の少年でした。
大井法華堂は、民間への道を選びました。また明治初期の役場は法華堂の座敷を使用しました。

仮の役所とする旨の定め書きは大井家上段の間に掲示されています。
なお、宗教との関係を失った法華堂の多くの土地やお堂や社などは姿を消していき
ました。

それから現在の大井法華堂には特殊な風習や伝統はほとんど残っていません。
他のお宅と違う点は、祠のお祓いを年に一度行うこと。またお盆には盆棚を準備することです。
大井家の墓所は岩村田の行人塚地区にあります。

昔はかなり広大でしたが、道路拡張で狭くなりました。
このたび法華堂の土蔵が壊れそうになったので、撤去しました。御駕籠が出てきましたが、
あまり価値があるものではないことが判明したので処分しました。」

現在の大井法華堂は南入り口から入ると、庭の西部(左)に木造の平屋祠があり、
東を向いています。

祠前に石鳥居や石灯籠、水盤などがあります。
祠内部中央には巨大な宮形




があり、その内部には御簾があり、その向こうには御神鏡、最奥に木製朱塗不動明王像



安置されています。





この宮形の南(左)には役行者像があり錦布を垂らしてあります。



宮形の北(右)には
東照宮の神額と金幣、その右には仏像がありますが、女性仏です。神仏の前には内藤家下藤紋の入った黒漆燭台などの仏具が並びます。


撮影日29-6-29 午後1:30頃



■佐久ケーブルテレビ「とことこ39」今回は、岩村田「中山道・岩村田本町、法華堂」です。













 

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