日経新聞「領主の奉仕精神脈々と」佐久ホテル、鯉料理で歓待 | 佐久鯉元祖/佐久ホテル/天然温泉

1428年・室町時代創業の信州一の老舗旅館。お食事だけのお客様も大歓迎。全室個室でのんびりゆったり名物の鯉料理に舌鼓

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2016.11.24

日経新聞「領主の奉仕精神脈々と」佐久ホテル、鯉料理で歓待



長野県軽井沢町の水源地から同御代田町を経て同佐久市に注ぐ全長約15キロの篠澤(ささざわ)用水。1600年代初め、郡代に次ぐ要職の割元(わりもと)を務める篠澤源左衛門が、
高台に位置し、水の便が悪い地元・岩村田のために私財を投じて完成させた。浅間山の火山灰が降り積もった土壌で水漏れが激しく、底に粘土を塗り込め、隙間に真綿や餅まで詰めて
防水に努める難工事だった。巨額の出費で家運は傾いたが、農民から利用料は徴収しなかった。後に用水は佐久市の水道の25%を占め、現在は佐久水道企業団の管理下にある。篠澤家
初代は現在の佐久ホテルがある場所へ1428年に領主としてやってきた望月河内守。歴史は宿泊者を受け入れ、料理を提供する料理旅館のような役目を担ったが、真田家に従って多くの
合戦にも出陣している。源左衛門は8代目、佐久ホテルの篠澤明剛社長は19代目の当主に当たる。篠澤用水は戦後、行政が「笹沢用水」と改称した。篠澤社長は元に戻すよう求めているが
まが実現していない。源左衛門がなぜ用水開削に人生をささげたのか理由は定かではない。だが「用水のカーブや角度は和算では出せない数値」だという。家系図は紺地に金糸で聖母
マリアを意味する文言をあしらった布で表装してある。外国人技術者の介在や、キリスト教的な奉仕精神の発露がうかがえるため、歴史学者が篠澤家に伝わる資料の解読を進めている。
源左衛門のチャレンジ精神は15代目豊太郎、16代目佐太郎に引き継がれた。2人は明治時代に東京ー千葉間を結ぶ定期蒸気船「いろは丸」を運航したが、鉄道が走るようになり、事業
から撤退。現在なら100億円に相当する損失を出した。豊太郎は「晩香楼」の名で旅館兼料亭を営み、佐太郎は「佐久ホテル」と改称し、会社組織にした。島崎藤村、柳田國男、
北原白秋ら著名人が滞在する宿泊施設として成功させたが、いろは丸撤退の後遺症に苦しんだ。篠澤家には1648年、9代目佐五右衛門が小諸藩主に鯉料理を提供したという文書が
残っていいる。文献における佐久鯉の初出だ。佐久鯉は出世魚。1年目の鯉を当歳(とうざい)、越冬した2年目が中羽(ちゅうば)、もう1年越冬して1.5kgに育ち出荷に適する
ものを切鯉(きりごい)と呼ぶ。「佐久市周辺は水温が低く生育に時間がかかり、3年を要するが、その分だけ味が良い」と篠澤社長は話す。敷地内の湧水池で泥を吐かせ、代々伝わる
タレで3時間煮込んだ鯉は佐久ホテルの名物だ。1700年代から当主は神官の資格をとり、篠澤社長も神主。1683年から祇園御振舞の儀という儀式を続け、平安時代の儀式に
由来する包丁式も守る。右手に包丁、左手に箸を持ち、供物には一切手を触れずに切って盛付け奉納する技だ。「天茶(あまちゃ)も扱う。佐久地方に自生するアマチャの葉を10月
ごろ摘んで手もみし、ぬれた布をかぶせてひと晩発酵させた後、1週間乾燥させたもの。緑茶と同じように飲むとほのかに甘い。現在は契約農家に栽培を委託し、ホテルで販売して
いる。篠澤社長に至るまで歴代の当主は佐久の伝統文化継承に力を注いできた。かつて27カ村の庄屋・名主を束ねた割元の使命感である。
  ■日経新聞:200年企業:佐久ホテル:成長と持続の条件。「領主の奉仕精神脈々と」佐久ホテル、鯉料理で歓待。

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