2016.11.02

逵原実と佐久ホテル



作詞者逵原実の「戦友の遺骨を抱いて」

127ページより


【当時私は、近衛歩兵第一連隊の初年兵であった。秋季演習が長野県で行われ私は第一旅団司令部の兵隊として

佐久ホテル篠澤さんの家に泊めて頂いた。その頃、篠澤さんところには、小学校一年生の房子ちゃんというおカッパの可愛いお嬢ちゃんがいた。岩村田にはヒカリゴケという天然記念物がある。

房子ちゃんは「それを兵隊さんに見せてあげるんだ」と言って、お隣りの子供たち二人と連れだって案内してくれた。途中で私達は、町の写真屋さんに逢った。

子供達が「兵隊さんと写真とりたい」という。それで私達は煙吐く浅間山をバックに四人並んで移してもらった。

その時、誰かが「兵隊さん、またいつか、この町へきて」と甘える。私は、「うん、きっと来るよ。でもその時はちいちゃな君たちも大人になっているぞ。

なあ君たち、約束しよう。皆に今度逢ったとき、もう一度ここで、同じ順に並んで、同じ格好できっと
写真を撮ろう」と言って子供達の頭を撫でた。

すると誰かが「兵隊さん戦地へ行くん」と尋ねる。「そりゃ兵隊だもの戦争に行くさ」「戦争に行くと兵隊さん死ぬかもしれん。つまらないな、写真もう一ぺん撮れん」と子供らしい心配をする。

やがて、「兵隊さん、いいこと思いついた。あのお宮様にお参りして、兵隊さんがしなないで、もう
一度この岩村田へ来て、皆で一緒に写真が撮れるようにお祈りしよう」と房ちゃんが言い出した。

朱塗りの橋のその向こうの松山の裾にお宮様がある。子供達は先へ走って
いって、その拝殿の前に並んだ。私もその後に立つ。

「兵隊さんが死なないように。もう一ぺん写真とれるよう」子供たちは、紅葉のような小さい手を何べんも合わせ、

たたいて、お祈りしてくれた。その後一年して、私は出征した。

子供たちが「もう一度写真とれるように」と祈ってくれた、あの時の四人の写真を弾除けのお守りとして
ポケットに入れ、大切に戦場を持ち歩いていた。

戦場で随分危ない時もあったが不思議に弾が外れ、このお守り写真のお蔭か無事復員できた。】




※この本の件は、三重県松阪市のO様よりご紹介を頂いたものです。また房ちゃんとは佐久ホテルの現社長の叔母です。昭和13年11月のこの文章の中のお宮さん、ひかりごけ、松山、写真屋、橋、そして佐久ホテルも残っております。これも兵隊さんが戦って下さったお蔭です。心から感謝申し上げます。また松阪市のO様に
御礼を申し上げます。

281102
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