小諸城址懐古園紅葉情報(2015年11月9日) | 小諸城址 懐古園(かいこえん)

春の桜、秋の紅葉、動物園、遊園地、様々な記念館を有した城址公園

小諸城址 懐古園(かいこえん)

2015.11.09

小諸城址懐古園紅葉情報(2015年11月9日)

立冬を迎えました。日本には「二十四節気」と言って、一年を24の季節に分ける方法があります。日本人の季節感がにじんでいる考え方です。「立冬」は二十四節気では19番目です。なお、20番目の節気は11月下旬に迎える「小雪(しょうせつ)」と言います。

 

さて、明治時代の廃藩置県によって藩が無くなったことで、小諸城は実質的にはその役割を終えて、園内に「懐古神社」を祀(まつ)り、重要文化財にもなっている三の門から中を「懐古園」と呼ぶようになりました。

 

懐古園の「懐古」とは、国語辞典を引くと、「昔のことを懐かしく思い返すこと」とあります。「懐かしい」とは「魅力的である」とか、「かつて慣れ親しんだ人や事物を思い出して、愛おしいと思う感情」とあります。また、衣服などが体になじんで着心地がよいことを、「この衣服の着こなしは懐かしい」と言ったりもするそうです。

 

心理の一番大切な要素は「懐かしい」という感情ではないでしょうか。美しいものに出会った時、今まで見たこともないのにすでにどこかで出会ったことのあるような、すでに知っているような気持ちになることがあります。「懐かしさ」が心理を見つける情操なのかもしれません。喜びや幸せといった心理は、実は「懐かしい」と思う気持ちで規定されているのではないでしょうか。

 

懐古園には美しいものや「懐かしい」ものがたくさんありますが、園内には「懐古射院」という弓道場があります。紅葉まつり期間中、毎週日曜日の13時から15時にかけて一般開放が行われており、実際に弓矢を射る様子が見られます。11月15日(日)、11月22日(日)に見学することができます。紅葉を全身で愛でながら、風の流れを見つめて、「弓道」という武道の佇(たたず)まいに心を静めてみませんか。射手の織り成す洗練された弓術を、間近で眺めてみませんか。紅葉も美しいのですが、弓道の佇(たたず)まいも、それにも劣らず美しいなと思う今日この頃です。

 

そもそも「武術」とは身体の使い方を変える技のことです。身体技術の向上は、「これまでそんな身体の使い方ができるとは思ってもいなかった」と思うような使い方を発見するという形をとります。宗教と武道が一心同体になっているという日本の武道は、日本人の編み出した、世界に誇れる優れた伝統です。「弓道場」という精神を鍛練する場所があって弓術の稽古の様子が見学でき、しかも園内では「自然の摂理」や「巡る季節の変化」を全身で感じることができる、これほどにも素敵で素晴らしい場所は、世界中どこを探しても、ここ懐古園しかありません。 

 

弓道は仏教の「禅」につながるものです。武道とはそもそも仏に近づき、悟りを得ることです。弓道では、弓矢を引いてそれを放つときに意志を持ってはいけないのだそうです。射に向かうとき、弓矢を片腕に抱き、一礼して構えてから放つまで何ひとつ間違えずに宗教の儀式のように行動できて初めて、「図星」という的が登場します。すべての動作ができない限り、的に向かうことさえ許されないということですね。「的に当てたい」と思うような功名心の強い人にとっては、的はただの枠になってしまいます。的に当てることを目指しているうちは、本当の射にはなりません。「当てたい」と思うと、「図星」という的を目がけてとにかく射るという、ただの曲芸の見せもの射手になってしまうのです。また、悪い射に腹を立ててはならないし、良い射に喜んでもなりません。「当てたい」という欲望を持てば持つほど、射程がひずんでしまうのです。弓が何の力みもなく意志を持たずに的に向かって自然に落ちてゆくような「時を待つこと」、それが目指すべき弓道の悟りの道なのです。そんなある種の緊張感に包まれた「懐古射院」をぜひ見学に来てください。

 

いつの間にかできるようになっていたということは誰にでもあるでしょう。例えば、赤ん坊がいつの間にか言葉を話せるようになっていることもそうです。完成の時の到来をただひたすらに待つこと、それが武道の本質なのではないでしょうか。

 

懐古園を歩いていると、弓道の他にも、禅の教えに通じるものがたくさんあることに気づきます。例えば、樹々や花々が無常にも儚く枯れていくという自然の摂理。ただ花であるゆえに咲いて散るから、花は花らしく美しいのです。また、今の時期の懐古園では、掃いても掃いてもまた落ち葉で荒廃する通路の様相もそうです。どうせ汚れるのだから、掃除など一切やめてしまえばいいのに、そうはしません。汚れることを分かっていながら、人は目の前の一時(いっとき)の清潔のためにただ黙々と掃除をするのです。そこにも禅に通じる考え方がひそんでいます。また、懐古園に遠足に来た園児たちが、馬場の広場でおいしそうなお弁当箱を広げて「いただきます」、食べ終わって「御馳走様でした」とみんなで合掌するのもそうです。生き物の命をいただくおかげで私たちは生かされている、という厳然たる事実に無意識のうちに気づかされるわけですね。

 

さて、懐古園では現在、紅葉真っ盛り。モミジは真っ赤に色づいています。「紅(くれない)」とは白っぽく、薄みがかった赤のことです。咲き始めたばかりの桃の花の色です。桃の花は日が暮れても「くれない」色なのです。「紺」とは海よりも深い「青」、その青さにうっすらと赤みが走っている、銀河の宇宙のような深い青色のことです。「想う」とは「木を見る心」と書きます。「緑」いっぱいの樹々を見つめていると、心がもっと優しくなります。「雲は白い」と言いますが、雲には本当の色などないのです。純白でもなければ透明でもありません。見る人の心によって、それは色んな色に光るのです。虹が「七つの色」に輝くように、色は七つの光からできています。雲は純粋さに染められた「白」が好きだから、その尾びれを白く染めたのです。たしかに懐古園から見上げる雲は、いつも見ている雲よりももっと純白できれいに見えます。それは、懐古園を訪れたあなたの心が、昨日よりも清く澄みきっているからに他なりません。

 

あなたの好きな色は「赤」ですか、「青」ですか、「緑」ですか、「白」ですか。あなたにいちばん似合う色を懐古園で見つけてください。

 

あなたはまだ懐古園に来たことがないのですか。それは実にもったいないことですよ。小雪の「白」が舞う季節を迎える前に、懐古園を訪れて、懐古園で出会ったひとときの秋を、明日の我が身のお守りにしてください。

 

「未完既に完成、求道すなわち道である。」これは宮沢賢治の有名な言葉です。あなたはまだまだ鍛え方が足りません。あなたはまだまだ成長の途中です。これからたくさんの人と出会い、美しい風景を見つめて、真心を思いやりの布でふき、澄みきったダイヤモンドの輝きのように心を美しく磨き、あなたはあなたになるために一生懸命に頑張りましょうと、現代人にエールを送る言葉です。この言葉を胸に、懐古園で「美しいものを美しいと思う心」をどうぞ育(はぐく)んでください。懐古園から帰ったら、出会った感動を誰かと分け合っていただけたらと思います。これほどまでに美しい風景の音色に現(うつつ)を抜かすことができるのは、まさに欣快(きんかい)の至りですよ。

 

紅葉を見上げている人がいたら、その人の後ろはそっと静かに通りましょう。それが懐古園でのマナーです。











































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