History軽井沢彫とハンセン病に尽くした人々
旧軽井沢の愛宕山の中腹に「愛犬プリンスの墓」明治42年9月4日ライト建、という石碑がひっそりと佇んでいます。
この場所こそ日本のハンセン病治療と介護に全財産、全人生をかけ尽くしてくれた英国人女性、リデルとその姪ライトの別荘跡なのです。
リデルがキリスト教伝道のため熊本を訪れた明治23年ごろ、日本ではハンセン病は不治の病として忌み嫌われ患者は見捨てられていました。
患者の悲惨な状況を見かねた彼女は英国や諸外国の人々の寄付を募り、熊本に治療施設回春病院を開設します。
彼女たちが軽井沢の別荘に来た大きな目的のひとつは、日本の政財界の人々にハンセン病への理解と支援を求めるためでした。
その通訳をしていたのが回春病院の事務長でもあった飛松甚吾氏で、甚吾氏愛用の軽井沢彫の譜面台と花台は、軽井沢町歴史民族資料館
に寄贈されています。
明治40年、リデルたちのハンセン病治療への熱意はついに大隈重信や渋沢栄一など政財界の重鎮をも動かし、全国5ヶ所に公立の療養所
設立に至ったのです。
しかし、昭和の長く不幸な戦争の影響により海外からの送金が途絶え、資金不足に陥った回春病院は閉鎖に追い込まれてしまいます。
さらに、スパイ容疑など様々な弾圧を受けたライトは国外追放されてしまったのです。
関係者たちの無念な思いは如何ばかりだったでしょう。
現在、回春病院の建物で唯一残る「リデル・ライト記念館」には、故ダイアナ英国皇太子妃やヘレン・ケラーも訪れており、館内にはリデル・ライト
両女史が愛用した、軽井沢彫の机や鏡台も展示されています。
軽井沢の地、そして軽井沢彫がハンセン病に尽くした人々と深いかかわりがあったことを皆様に少しでも知っていただきたく寄稿いたしました。
軽井沢彫 シバザキ 柴崎恵助
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軽井沢彫 シバザキ
カルイザワボリ シバザキ
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